―読者に自己紹介をお願いします。
―私はNamsraiBayanmunkhと申します。2008年に新モンゴル高校を卒業しました。2009年に新モンゴル高校の支援で、日本へ留学しました。はじめの1年は日本語学校で学び、2010年に新潟大学に入学し、2014年に建築の専門で卒業しました。
―現在はどこで、どんなお仕事を?
―大学卒業後、日本のホンマ・コーポレーションという建物・道路・橋の分野の会社に入社しました。現在この会社で建築エンジニアとして4年目です。
―日本の建築分野で初のモンゴル人一級建築士になりました。おめでとうございます。仕事をしながら試験準備されたのですか?
―ありがとうございます。試験は2段階で行われます。はじめの試験は6月に、次の試験は10月に行われます。私ははじめの試験を昨年3月から準備し始め、合格通知を7月に受け取り、次の試験に集中しました。全部で4か月近くかかりました。日本の建築会社はとても仕事が多いです。私が担当していた建物を昨年12月に手渡すはずでしたので、過密なスケジュールでした。そのためだいたい夜の8~9時に仕事が終わりました。幸運なことに一緒に担当していたベテラン・エンジニアが“夜6時以降は試験勉強してもいいよ”と言ってくれたので、とても助かりました。夜は帰宅し、一晩中勉強しました。しかし日本の大学で勉強して、夜も勉強するのに慣れていたので思ったより平気でした。
Facebookにお母さまが縫われたモンゴルのシャツを着て受験したと書いてありました。
 母を空港に送っている際に試験結果が出ました。そして嬉しくて2回泣きましたよ。
―留学生としての期間中、困難があったでしょう。それらを解決していくのに何が必要でしたか?
―大学に入るとき、私は専門の言葉がよくわからないし、言葉の問題がありました。先生方の話を理解するのも大変に思われました。しかし日本語を学んでいくうちに、これらは困難でなくなりました。新モンゴル高校を私より前に卒業し、日本で学んだ先輩たちが多くいましたから、とても助けられました。だれでも目的・夢があれば、頑張ることができると思います。
―日本で学びたいモンゴルの若者たちにアドバイスを。
―明確な目的・夢があるのが大切だと思います。何よりも将来の目的を明確にすればそのために進む方法、チャンスが自然と開けているように思います。国内外の奨学金が多くなったので、よく調べれば世界のどこへ行っても学ぶチャンスがある時代に我々は生きています。はじめにその国の言語をよく勉強したほうがいいです。知識を身に付ける最初の鍵は、言葉を学ぶことです。
―母国で何をしたいですか。
―学んだことを活かして、モンゴルの建築分野の発展に少しでも貢献したいと思います。今、具体的なことは言えませんが、学んだことをモンゴルで実行したいと思っています。しかし、まだまだ学ぶことがたくさんあります。
―モンゴルには現代風の高い建物が聳えています。若い人材として、この分野をより発展させるために何を重視する必要があると考えますか?
―建築は大きい分野なので、発展には多くの要素が必要だと思っています。私は4年間日本の建築分野で働いて、日本の建築分野の重要なことは、責任制度だということを理解しました。例えばひとつの建物を建て終わり、引き渡した後、最低でも10年間はその建物を建てた会社が、建物で起きた破損・損傷を修復する法律があります。建物の屋根からの水漏れ、地盤沈下などによる破損・損傷などを保証することです。
 建物を建て終わった後、建築会社は毎年その建物で診断を行い、修理する必要があれば自社の費用で行います。ですから始めから質の良い建物を建てなければ、水漏れのたびに行って修理することになり、これは利益が何もないということです。さらに法律がとても厳しく、監査・試験が厳しいですから、責任を持たなければなりません。日本で建築資材、技術は急速に変わっています。日本は研究調査をよく行う国ですから、新しい技術がいつも出ていて、建築分野の競争・発展があります。
―将来の目的・夢は?
―私は新しい目標・計画を紙に書いて、家の壁に貼っています。それを見て自分をいつも磨くように努めています。計画したことをひとつずつ実行していくとやる気がわいてきて、また新しい目標ができます。
情報元:News.mn